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            メール・マガジン

       「FNサービス 問題解決おたすけマン」

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    ★第016号        ’99−10−08★

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    私の「聖書」

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●『求めよ、さらば与えられん。

「マイ・バイブル」を得たのは、昭和43年、末近くのことでした。』

で終わった前号の続きです。

 

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●昔風に言えば

 

「座右の書」、身近に置いて愛読する本。その種のものには「バイブル」なる

称号を奉るのが当世風ですが、私の「それ」は、どう呼ぶのがふさわしいか。

 

 

読みたい、と思った時には必ずそこにある、という具合にしたくて、家にも、

オフィスにも、工場にも、つまりアチコチに置いていました。 それぞれを、

それぞれの場所で、それぞれの進み具合で読む、、、ま、ちょっと不謹慎な、

著者に失礼な感じではありましたが、、。 そうしてみたら、望外の効果、、

 

さながら打ち寄せる波のごとく、コーラスの輪唱のごとく、、で、いわゆる

読書、というスタティックな感じではなく、実に刺激的。1回目で感じたの

とは違ったものが2回目には得られ、3回目には、、、

 

しかも飽きずに、それぞれ何回も繰り返して読む。 次第にフォードが、、

 

ほい、しまった。私の愛読書は、ヘンリー・フォード1世1926年の著述、

「Today and Tomorrow 」でした。  後れましたが、ご紹介申し上げます。

 

*   *

 

当時ですら半世紀も昔の本、年数で言えば十分古い。さらに、地域や分野も

まるで違う人の話なのだから、まあ異文化、、というところ、バイブル並み。

 

アチコチで読む、と言えばバイブルも、旅先のホテルなどに置いてあります。

いつでも、どこからでも読むし、繰り返して読む、、、 それがバイブル。

やはり私にとって、「フォード」はバイブルさながらでした。

 

しかしながらこの本、中身は癖が強くて、それ1冊だけ読めばすべてOK、

とは行かない、、というところは「人間」的。やはり、バイブルには及び

ません。 が、毎頁に教訓が一杯、、で、私にとっては聖なる書物でした。

 

そう、それは文字通り、「聖書」。

 

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●とにかくその訳本が、

 

昭和43年の秋、「フォード経営」というタイトルで、東洋経済新報社から

発行されたのです。それには、彼フォード1世の経験に根ざした経営方針が

ふんだんに語られていました。  これはズシーン!と来ましたよ。

 

 

サーモスタット屋になって5シーズン目、私なりの体系を編み出しつつあり

ました。けれども、確信が持てない。この考え方で良いはずだ、とは思うが、

何か心許ない。  この本に巡り会ったのは、そんな時でした。

 

まず「はしがき」で軽いショック、何と武田薬品工業株式会社経営研究会の

人々の訳出だったから。  仕事の性質がまるで違うだろうに、、何故?!

 

その記述によれば、「今日(30年前!)経営学界、実業界で盛んに論じられ

ている問題のいくつかが、すでにここでとりあげられているから」でした。

 

その実例として「目標管理」、「結果による管理」の考え方も、と。たしかに

「経営研究会」のテキストとしては絶好! フォード氏は、まさに「先駆け」

た人、でした。

 

実は、その後芽生えた「リサイクル」も述べられていたのですが、何せ30年

前の我が産業界、未だそこまで進んでいなかった。だからそれは「はしがき」

の指摘に含まれなかったのでしょう。  彼我の差、半世紀以上。 ウーム!

 

*   *

 

当時の私の書き込み、「経営することの意義を、これほど明確に分からせて

くれた人があるだろうか。我々に先行すること数十年、思想として確立し、

完結的に体現していた事実に驚く。その精神と行動力を評価する」とある。

 

それまで私は、その「精神」に感銘を受けるような経営者に出会ったことが

ありませんでした。行動力だけなら相当の猛者を見てはいましたが、そんな

のには驚かない。  こちらの方がウワテかも知れなかった、、ので。

 

*   *   *

 

もちろんライターに書かせ、フォードは口述しただけ。しゃべるうちに調子

が上がって「演説」になったか、中に多くの誇張や、自身は実行しなかった

単なる「説」も含まれていることを、のちに知りました。  たとえば、

 

フォード社の社会厚生部で責任者を務めたサミュエル・マーキスによると、

 「彼(フォード)の中には非常に強烈な光と深い影の部分とがあって、

 彼の全体像を、これといったピントで同時に写し取ることは出来ない」

そうです。

 

初めマーキスは、フォードが通った教会の牧師でした。が、「この工場で車

と一緒に人間を作りたい」というフォードの言葉に動かされ、教会を離れて

その職に就きました。「強烈な光」に感じたわけです。彼はフォードを全面

的に信頼し、一時期、働く人々の生活向上に大きな成果を挙げました。

 

しかしそれは長くなく、やがて気まずい別れ方をせざるを得なくなります。

「深い影」に耐えられなくなったからです。それは彼に限ったことではなく、

フォードと付き合ったほとんどすべての人々に起こったことでした。

 

Today and Tomorrow に私が感銘を受けたのは、もちろん、その「光」の方

だけを見たからです。 約330頁、「光」だけギッシリ、の本なのです。

 

*   *   *   *

 

前述の「癖が強くて」はそのことです。光と影のコントラストが強烈だった

フォードの、ドン・キホーテのような側面まで含めての、進軍ラッパ的効果

の本。  しかし、光を仰ぎ見るだけで良い時もある、と思いますよ。

 

特に現状打破を願い、しかも周囲に光らしきものすら見いだせない時には。

今の不況とは違うけれども、当時にだって不況はあったし、小企業に助けが

乏しかったことも変わらない。  そんな身の上の者には、光が要るのです。

 

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●たとえば「不況期において

 

 さえも、繁栄のあらゆる要素は存在している。、、管理さえ適切にやれば、

 不況期を迎えねばならない理由は毛頭ない、、、。繁栄のための経済上の

 基礎は常に存在しているのである。」(p.21)

 

これを読んだら、誰でも、よし、やろう。しっかり勉強して、、という決意

が固まるんじゃなかろうか。「固めた」のは私だけではないらしいですよ。

 

比較的に最近の本ですが、マッキンゼー社コンサルタント3人の共著に成る

「変革のマネジメント」には、

 

 「、、、こんな平成不況の中でも明るい発見はあった。、、、トヨタの

 ようなファンダメンタルズのしっかりした企業は、やはりそれなりの収益

 を保てているという事実、、、基本を押さえ、キチンとした経営さえして

 おれば、利益は確保できるということを示している。」 (p.2)

 

と記されています。いやまさか、天下のトヨタさんがフォードのこの本で、

なんてことはあるまいとは思いますがね。

 

 

フォードは続けて、

 「すべての人間が、進んでものの道理を知るとは限らない。したがって

 教育が必要となる。すべての人間が、自らの知能を仕事に生かすことに

 よって、仕事の苦痛から逃れられるということを、知っているわけでは

 ない。ここでも教育が必要となる。また、すべての人間が、目的に適った

 手段をとること、、、最も貴重な財貨、すなわち時間、を節約することを、

 わきまえているわけではない。従って、人々には教育が必要なのである」

                         (p.21/22)

 

実は私、それに先立つ10年以上、陰で「教育パパ」と言われたほど、社員

にとっては「お節介な」なリーダーだったのです。それが必ずしも喜ばれて

いなかったことは承知、それ故に、彼らにとって必要、良い仕事をするため

に必要、と自分を励ましながら、でした。  教える方も楽じゃないんだぜ。

 

それが、この数行の記述に出会う。 そうなんだよ、これで良かったんだ、、

心が安らぎます。 すなわち、安心する。

 

*   *

 

ひとりの人間の心に安らぎを与える、、なんて、誰にも出来ることじゃあり

ません。 これぞ救い、やはり「聖書」ですよ。 1冊560円、安かった。

 

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●印象的だったのは「サービス」

なる語がほとんど毎頁出て来ること。これには圧倒されました。その一つ、

 

 「経営の歩むべき真の道は、その使命に従い、公衆へのサービスを追求

 するにある。製造コストが節約可能なら、それを公衆に与えよ。いくらか

 でも利潤が増加するなら、価格引き下げによって公衆と分かち合うべきで

 ある。少しでも商品に改善の余地があるなら、迷わず実行に移すべきで

 ある。、、経営がパートナーシップの関係を結ぶなら、サービスによる

 公衆とのパートナーシップに勝るものはない。」 (p.44/45)

 

いま風に言えば「CS!」でしょうな。当時、あの松下幸之助は別として、

自分の理念をこのように明確に謳った経営者を私は知りませんでした。

 

私のレベルでは未だ、「何とか良い製品を作る」だけで精一杯でしたが、

これを読んで、よーし、オレも、、、と、心に誓ったものでした。

 

 

こういう説き方もしています。

 「製造業にしろ小売業にしろ、問題はすべて、規模によってではなく、

 目的に応じて二つの種類に分かれる。その目的が最大可能なサービスを

 することにあるのなら、その方法はおのずから、その情況に応じて形成

 されていくであろう。他方ある人が、サービスとは関係なく、最大可能

 な利潤を望むならば、もはや彼は真に経営を担っているとは言えないし、

 そこに当てはまるどんな経営のルールも無い。それはただ、儲けられる

 時に出来るだけ儲けるというだけのことである。」 (p.300)

 

まあ、私が住んでいたのは「家電」の世界でしたからね。やたらと値切る

顧客企業の皆さんに読んで欲しかったな。 いや、読むはずが無い。なら、

突き付けて言ってやろうか、耳、痛くないの?って、、、くらいに思った。

 

*   *

 

ただ、彼の「サービス」には独特なところもありましたな。ライバルGMが、

消費者の欲求に合わせて、色々なカラーリングを提供した時にも平然、

「何色でも選んで頂けますよ。それがクロである限りはね、、」

 

1500万台売ったT型が全部クロ一色。しかし彼にしてみれば、それも

サービスの一つ。安い、メンテナンスが容易、それに「何色にしよう?」

と迷う必要が無い!  時間の無駄も防げる、というわけ。

 

*   *   *

 

その独りよがりが災いしてGMに負けるのですが、彼の本来的農民性から

すれば、質実剛健に傾いて当然。誰にも買うことが出来、扱いやすくて、

丈夫な車を! という大きな目標が常に優先していたからでしょう。

 

彼はその「アイデア」(と、本の中でアッサリ表現している)がビッグ・

ビジネスになったと言っています。私は感動して、こう書き込みました。

 

「我々がアイデアという語を口にする時、これほどに壮大なスケールで

その意味を考えたことはあるまい。単なる思いつきの域を出ず、時には

それが借り物でしかないという低劣さ。しかもそれすら希だ、となると、

原因の第一はその環境の低劣さだろう。併せて、それを普通としている

人々は、いったい何を意義として生きているのだろうか、と疑う」

 

何度読み返しても、そして今も、この想いには変わりがありません。

 

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●彼自身の想いは、たとえば

 

 「、、、自問すべきは、我が社の規模において経営の採るべき最善の

 方法は何か、ということではない。自問すべきは、経営者として私は

 何をしたら良いのか、私は進路をどこにとるべきか、私の望む仕事と

 は何か、ということである。」      (p.298)

 

のようなもの。 風貌からすると分裂質鋭敏傾向の人。常に反芻していた。

そのポイントは、この言葉で明らかなように、HOW じゃなくて、WHAT 。

 

この本を繰り返し読んだということは、このような言葉を何度も味わった

ということ。つまり、EM法、KT法を知る遙か前から、私の頭にそれが

インプットされ、それに導かれて道を見いだすことが出来た、、、

 

つまり、導きの書でもある、、。  やはりこれは「聖書」でしたな。

 

 

こんな記述もあります。

 「賃金問題は、労働者を出発点とするものではない。それは彼のところ

 で終わる。それはさかのぼって、雇用者の製図板の上で始まる。鉛筆が

 紙の上に置かれる前に、製図者つまり雇用者は、自分が何をしたいのか

 を考えなければならない。人々の役に立つものを創造しようとしている

 のか、それとも単に売らんがために何かを作ろうとしているのか、と。

 この二つのアプローチの間には甚だしい相違がある。」(p.186)

 

これも WHAT! でしょ? 当時はCADなんて未だ無い。製図板に向かう

時間がかなり長かった私の頭には、この言葉がコビリ付いていました。

 

多分そのお陰でしょう。 我がサーモスタットは different でしたよ。

 

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●マネジメントという管理は

 

頭の仕事です。言い換えれば、ココロの仕事。その「心」をどう用いるか、

は WHAT 次第。それが決まらなければ、コントロール技法をいくつ知って

いようと、効果的には使えません。母校をけなすつもりはありませんが、

私の在学当時、マネジメントの心に関する講義は皆無でした。

 

そんなこと、大学に期待してもムリだぜ。ビジネスの人々は言うでしょう。

じゃ、あなた、教えて下さいますか? と切り返してご覧なさい。 これ

ほど具体的に教えてくれる人など、ビジネスの世界にも滅多にいないこと

が、すぐ分かるでしょう。

 

もし、希にいるとすれば、、、ヒョッすると、、、

(その種の考え方が集成された)ケプナー・トレゴーの技法を学び、

よく身に着けた人、、、かも知れませんね。

                         ■竹島元一■

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